ミクロネシア麻酔リフレッシャーコースに参加して

静岡赤十字病院 麻酔科 中島芳樹

 今年2011年の1月の締め切りで日本麻酔科学会のホームページにヤップ島でのミクロネシア麻酔リフレッシャーコースへの講師派遣の募集が掲載されていたのを友人の麻酔科医から聞きました。外国好きな自分にとって、またとないよいチャンスと思い、早速ホームページにアクセスの上、申し込み用紙をダウンロードし、英語で四苦八苦しながら自己紹介文を書いて学会に送って待つこと2ヶ月、学会本部から正式に派遣の依頼を受け、日本麻酔科学会の総会がまだ神戸で開催されている最中の5月21日、一緒に行くことになった国際医療大学の蔵谷先生と関西空港から出発しました。飛行機は3時間でグアムに到着、そこからさらにコンチネンタル航空で1時間飛ぶと美しい青い海が広がるヤップ島、と書きたいところですが到着は真夜中の11時半、さらに南洋特有の激しいスコールに見舞われた中を飛行機から空港ビルまで走って移動し、さらに通関で一時間近く待たされ無事ホテルに入ったのは真夜中の一時半でした。おかげで荷物もびしょびしょでした…..

 さて皆さんはヤップ島がどこにあるか言い当てられますか。ダイビングをされる方ならすぐお分かりでしょうが、ヤップ島はミクロネシア連邦の4つの地域の一つで(Yap, Pohnpei, Kosrae, Chuuk)、人口約16000人の小さな島です。古くから石で作られた貨幣(石貨)が用いられていることで有名で、第2次世界対戦前は日本の委任統治領であり、最大で80000人の日本人が住んでいた時期もありました。さらにこの地では戦闘が行われずに農業訓練や日本語教育などが行われていた経緯から非常に親日的な環境にあり、現地の言葉にもデンチュウ(電柱)、シコウキ(飛行機)など日本語の言葉も残っており、高齢の方では日本語が話せる方もいるようです。また驚いたことに日本に本拠地のある国際ロータリー第2750地区は東京およびチューク、ポンペイ、パラオ、グアムをその地域に含んでいることからも日本との古くからの関連は明らかでしょう。

 今回、派遣された目的はこの地域の医療従事者、特に麻酔を担当する医師および麻酔看護師に生理学、麻酔学を教育し医療レベルを引き上げることに協力するためでした。ミクロネシア連邦諸州と、さらにほぼ同じ地域に存在するマーシャル諸島およびパラオから医療従事者を受け入れ、島嶼特有の問題、つまり周囲から隔絶され、情報交換がままならないこの地域で主としてオーストラリア麻酔学会によってMARC (Micronesia anesthesia refresher course)が1994年から行われており、従来フィリピン麻酔学会、ニュージーランド麻酔学会の応援を受けていました。近年はWFSA (World federation of societies of anaesthetists)の支援も始まっていましたが、さらに彼らの日本麻酔科学会への呼びかけにより今回の我々の参加が実現しました。各地にそれぞれ固有の言語があるのですが、国内でのコミュニケーションがうまくいかないことや、さらに戦後の委任統治がアメリカ合衆国によって行われていた背景もあって公用語は英語です。

 ヤップ島の夕焼け、言葉を失うほどの美しさ

 明くる日は早速朝食後にホテル(Yap Pacific Dive Resort)のカンファレンスルームで月曜日からの打ち合わせを行いました。今回は4つの講義とワークショップ、グループディスカッションの司会を務めることになりましたが、さらに今回は初めての試みとして疼痛管理に多くの時間が割かれ(約2日)、関連するセッションのうち、成り行き上、Why should we treat pain?というタイトルのワークショップを蔵谷先生、Pain treatment overviewを私が担当することになってしまいました。この日も嵐が続くため、一日中ホテルに滞在することになり、打ち合わせが終わったあとは部屋でぼーっと強風に煽られるヤシの実を眺めていました。幸いインターネットは問題なくつながるのですが、日本から持ち込んだ携帯電話は全くだめです。それにしてもオーストラリアの医師達の発音が聞きづらいことは格別でした。自分自身英語が得意ではないのですが、それにしてもこれには参った!という感じです。

 月曜日、朝食後にホテルから徒歩で10分ほどの距離にある会場に向かいました。いよいよ1週間にわたって海外の麻酔科医と連携してリフレッシャーコースが始まります。しかも英語でグループディスカッションやワークショップまで担当するのは初めての経験です。街一番のショッピングセンターの隣に位置するYap business centerという小さな部屋が集まったような会場の1室を使って部屋のセットアップを行いました。最初集まった参加者は7名で、ドクターは3名、他はnurse anesthetistsでした。それぞれの自己紹介に引き続いて最初に各地域からのそれぞれの医療事情の報告がありました。アメリカとの自由連合盟約を結ぶマーシャル島ではほぼ欧米並みの病院が整備され、また同様の盟約のあるパラオでは3名の麻酔科医師がいるのに対し、ミクロネシア連邦では我々が訪問したヤップ島にのみ麻酔科医師が1名で、彼自身も元々はフィリピン出身です。また、他の島、例えば人口約14,000のChuukでは麻酔科医師は存在せず、麻酔看護師が2名いるのみであるようです。このような理由で対象が主に看護師であるため、講義内容は非常にベーシックになります。自分自身もこの日は吸入麻酔薬の講義を行い、また気道管理のワークショップにもインストラクターとして参加しましたが、島や地域によって使用される薬剤が異なり、また知識にも大きな差があるため、どこまで理解しているかははっきり言ってよくわかりません。また最も使用されていたハロタンを欧米諸国が製造をやめてしまったため、入手がきわめて困難になり、代替薬として比較的高価なイソフルラン、セボフルランが使用され始めているようですが高価な笑気は使用されず、圧縮空気も普段から使われていないため、主にキャリアガスは酸素100%のまま全身麻酔が行われています。特にイソフルランという吸入麻酔薬は刺激臭が強いことで有名な吸入麻酔薬ですが、このイソフルランしか使用できないところでは鼻につんとくるこの麻酔薬のせいでガスだけでの導入が難しくなり点滴がとりにくい小児の麻酔で大きな問題となっているとのことでした。

 リフレッシャーコース、小児麻酔講義の様子

 翌日の火曜日も朝から雨です。通常雨期は1月から2月にかけてのようで、この時期にこんなに雨が多いのは珍しいとのことでした。この日から現地で働くナース、ドクターも加わったため総勢12名の参加者がありました。今回ニュージーランドの医師が編集した疼痛管理のテキスト(EPM, essential pain management)に基づいて疼痛管理の基本についての教育が行われました。使用する薬剤が地域によってかなり異なるのは麻酔薬同様で、多くの地域ではモルヒネはあるものの剤型としては注射薬がほとんどで、錠剤が島によっては使えるようですが、散剤や貼付薬、座剤はどの地域にもまったく存在せず、一方ケトロラックやトラマドールなどの鎮痛薬は使用できるようでした。水曜日はEPMの考えに基づいた疼痛管理を病院のスタッフにどのように教育するかに重点が置かれたワークショップが行われました。実際金曜日にはヤップ島の病院を訪問し、疼痛管理を参加者自身が病院で働くスタッフに教育することが予定されていたため、我々が生徒として彼らのパワーポイントのプレゼンテーションを聞き、途中で起こりうる様々な事態に対処させるという実地訓練が行われました。その日の午後はそれぞれの地域でおこった興味深い症例に関するプレゼンテーションが行われました。Chuukから参加した麻酔看護師によって提示された症例は30歳のダンプカーに轢かれた男性がどのような経過で病院に運ばれ、腎臓摘出手術を受けた2日目に原因不明で死亡したというもので話を聞く限り、出血によるhypovolemiaか敗血症によるものと思われましたが、この地における医療水準についてかなり考えさせられる内容でした。

 翌日、島に唯一存在する総合病院であるYap Memorial Hospitalを訪問し、手術室、集中治療室、救急、病棟を回りながら、どのような機材および薬剤が使用されているか、また麻酔管理はどのように行われているかを見て回りました。麻酔関連機器や薬剤は比較的揃っており、日本で流通していない薬剤も多数存在していました。ヤップ島では吸入麻酔薬は主としてイソフルランであり、導入薬としてミダゾラム、プロポフォール、筋弛緩薬としてアトラクリウム、麻薬ではフェンタニル、モルヒネが通常使用されているようでした。麻酔記録はきちんと行われており、昨年一年間の症例数は約120例(全身麻酔、局所麻酔含む)で、そのうち帝王切開約25例(ほぼ全例脊椎クモ膜下麻酔)でした。産褥熱なども多いのでしょうか?

 翌日は産科麻酔の講義やBLSの講義およびワークショップが行われました。実際に日本で行われているようなマネキンを用いたトレーニングは残念ながらありませんでしたが、昨年大きく変わったBLSの内容を中心に指導を行いました。その後、1週間にわたり学習した内容のクイズが行われ、それぞれの講義内容やワークショップへの参加者のアンケートの記入後、最後に修了式が行われました。

 
 5日間にわたるリフレッシャーコースの受講証の授与式

 いわゆるremote areaでは医療レベルは極めて低く、主に麻酔は麻酔看護師によって行われている地域が殆どです。ミクロネシア連邦に属していないマーシャル諸島など極めて一部の地域では日本などのODAやアメリカの援助により立派な病院および施設が敷設されていますが、医学教育機関が国家に存在しない以上、正しい機器の使用法や生理学に基づいた麻酔管理は全く手つかずの状態だと思われます。このような状況に危機感を抱いたオーストラリア麻酔学会は1994年からフィリピン麻酔科学会やニュージーランド麻酔学会との共催でこの地域におけるリフレッシャーコースを隔年で行っていましたが、麻酔機器及び薬剤の充実ぶりに比較してやはり生理学的な知識等基礎的な部分で相当遅れがあることが理解できました。今後もこの活動は継続されるとのことでしたが、このような活動に持続的に参加すること、そして日本麻酔科学会が自ら企画してまだまだ発展途上にある医療水準の国々へ援助の手を差し伸べることは大変重要なことだと考えます。

 それにしてもヤップ島の自然はすばらしいものがありました。美しい海、緑滴るジャングルとその中に威厳をたたえた無数の石貨、夜になれば無数のきらめく星と天の川、目に映るすべてのものに心を奪われます。今回の経験で、やはり国外に出て見聞を広めることは楽しいことだと再認識しました。私達麻酔科医は、いつも周りを見ていてそう思うのですが、医師の中でもとりわけ好奇心が強い職種なのではないかと感じることが多々あります。自分自身新しい薬剤や新しい器械がリリースされると早速試してみずにはいられないし、また様々な診療科の新旧揃った様々な術式を見ることができる、ある意味贅沢な環境に身を置いて仕事をしているわけです。そのような意味からもこのような機会に参加を希望する若い医師が増え、世界レベルでの交流がますます盛んになったらいいな、と心から願っています。

 ヤップ島のある村を訪れた時の部族長と一緒に撮った写真

 彼は20年前にヤマハの社員で、浜松で3ヶ月研修に来た経験をお持ちだそうです おどろきました